今回は、私の原点である高校時代のお話です。
写真は、私の恩師である坪島照信先生のメモリアルCDです。
残念ながら昨年の9月4日に亡くなられてしまいました。
中学校の3年間を吹奏楽部で過ごした私は、親の勧めもあって当時県内では1、2を
争う吹奏楽の強豪であった富山商業高校への進学を決めたのでした。
とはいえ、私が通っていた中学校からはこれまで女子の進学した実績がなかったため、進路指導の先生にも受かるかどうかわからないと言われました。
でもなぜかこの時も、受験が終わった瞬間に「受かる!」って思ったのは言うまでもありません(笑)
無事に入学できた私はもちろん吹奏楽部へ。
通学に1時間半くらいかかったため、朝練のため始発電車に乗り、帰りは終電の毎日。家には寝るために帰っていたようなものです。
親も大変だったでしょうね。駅までの送り迎えや弁当作り、楽器も買ってもらいましたし、お金もずいぶんと使わせていただきました。
それに加えて、部活の厳しさたるや半端じゃなかったです。
もともと男子校だったというのもありますが、軍隊(経験したことはありませんが)のようでした。
1、2年生の移動は全て走りです。パート練習の場所まで椅子や譜面台、楽器、タオルなどなどを持って走ります。3年生が到着するまでには準備を整えて練習に入っていなければなりません。冬でも外で練習してました。ドカジャン着て、楽器にはタオル掛けて、頭には雪が積もってました。私語厳禁、笑顔厳禁は言うまでもなく。
もちろん、この厳しさは演奏技術向上のためだけではありません。
商業高校ですので、卒業後は大半の生徒が就職します。
高校を卒業したばかりの子供がいきなり大人の世界に飛び込む。その時に少々のことでは挫けずに仕事を続けていくための精神力を鍛えていたのです。
坪島先生がいつも仰られていました。ここは人間形成の場であると。
あの濃密な3年間がまさしく私の原点です。
部では今でいう「コール」のような事をおこなっていました。
「我々は修行の身である」「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」
行政書士として開業した今、改めてこの言葉の意味を噛みしめています。
コメントをお書きください
084ah-yeah (土曜日, 08 12月 2012 15:09)
やっぱり私には無理やな(笑)。
tomori-office (土曜日, 08 12月 2012 20:38)
084ah-yeahさん
同じ道に進んでたらどうなってたかなぁ(-_-;)